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原爆の真の被害とは何なのか?「売る為でない本」を遺す意味 ~ 原爆で両親を亡くされた方の、その後の日々

hayabusaap3
9月26日
読了時間: 5分

更新日:10月2日

漠然としたタイトルだが、私にとっては非常に中枢となる「問い」です。


簡単にですが時系列に沿って説明したいと思います。



2025年 暮れ 私が生まれた小さな借家の前に住んでいて、父親同士が同じ職場であったことから母親同士も付き合いのあったAさんが、70年近く住んでいた長崎の家を引き払って千葉に住む娘の近くの施設に入ることになりました。

自分の出生時を知る貴重な人であったことから、出発前、何度か挨拶に行ったのですがタイミングが合わず会うことが出来ませんでした。


2026年 4月 長崎の家を取り壊す前に一度長崎に来られると言うので連絡をとって空港までお迎えに行き、その足で長崎の家の残っている家の整理に同行し、写真や手紙などを預かりました。

その後、仕事として写真をファイル化し、Aさんが以前自費出版した句歌集をAmazon のペーパーバックとして再編集して出版しました。


Aさんは長崎市郊外に住んでいた13歳の時、法事の為市内に入った両親を原爆により亡くしました。

その後転々としながら兄に呼ばれる形で長崎市に戻り、就職・結婚し、昨年まで長崎に住んでいました。

両親を探しに行った入市被爆の影響か、病気で入院することが多くありました。

2人の子どもは高校卒業後家を離れ、夫もだいぶ前に亡くなられました。


私は原爆投下以後のことをペーパーバック本として出版することを何度も勧めたのですが、Aさんはその部分については語りたくないようでした。


2026年 8月 保管していた膨大な写真の中に、一枚だけ被爆後10日ぐらいに撮られた三菱製鋼所の写真があったので、Aさんの同意を得て長崎原爆祈念館内にある長崎市被爆継承課に寄贈しました。

寄贈後、担当してくれた方が、隣接する原爆追悼記念館にAさんの遺した手記があることを教えてくれ、数日後に書き写して送ってくれることになりました。


時を同じくして、妻が映画「被爆前夜」を観たいというので一緒に観ました。

上映前の予告編で被爆者の音声を自費で集め続けた伊藤明彦氏を題材にした映画「8月の声を運ぶ男」を知り興味を持ちました。

帰宅後ネットで原作本を購入し、一気に読みました。内容は、ある印象的な被爆証言者についてのもので、その人物は心の傷からか現実と妄想などが複雑に絡まり合い、混乱していたというものでした。


被爆継承課の担当者さんがメールでAさんの手記をPDFにして送ってくれました。

その内容は、私の予想を遥かに越えた衝撃的なものでした。


個人情報保護の観点から詳細は書けませんが、Aさんは被爆後、他のきょうだいと共に北九州方面で所帯を持って暮らしていた兄宅に引き取られています。

しかし、当時兄は出征中で、兄嫁やその母親などから負担だと思われたのか、ひとり引き揚げ者などでごった返す列車に乗せられ、船などを乗り換えながら天草の兄嫁の実家に行かされます。つまり全くの赤の他人の家です。

事情があって男所帯だったその家で、Aさんは家事一切を押し付けらました。

洗濯物を干しながら夜空の星を見上げ、涙することもあったといいます。

兄嫁と実家の間でどのような話があったのかは知る由もないのですが、養育するよりは家事をする働き手として呼ばれたことは間違いないでしょう。


その後Aさんは、子だくさんのその家の子ども達からありとあらゆるいじめを受けました。

結核という大病をした時に、見かねた姉が北九州から迎えに来てくれ、しばらくは安寧のある暮らしをしていましたが、高校生の時に再び長崎市の兄から呼ばれる形で長崎市にやってきました。

実質は生まれたばかりの赤子の世話や多くの子ども達の子守をする女中として呼ばれたことをAさんは知ることになります。


その後は長崎市内で働きだし、被爆の影響からか何度も入院することもあったのですが、一方ではスポーツやコーラス、登山など人生を謳歌し、良き伴侶にも恵まれ二人の子どもを授かり幸せな家庭を築きました。

ちなみに子育ての頃、私は非情な母親に代わってAさんに度々預かってもらったり、愛情をおすそ分けしてもらっています。


表紙カバーは、アトリエはやぶさが作成しました。
表紙カバーは、アトリエはやぶさが作成しました。

結論です。

「原爆の被害」と言うと、第一に爆風・熱線・放射能による建造物や人体へのダメージで、第二には家族を亡くしたり惨状を見せつけられたことによるPTSDなどの精神的なダメージを指すでしょう。


しかし、Aさんの人生を通して私が考えたのは、「原爆の真の被害」とは、被爆者が被爆後、とくに自分が身内や友人、知り合い、身近な人々から受けた「差別扱い」ではないかという事です。


Aさんにとって原爆を書き語ることは、すなわち自分の身内や親族を告発或いは糾弾することになります。

そんなことをすれば、終わりなき差別が再燃するかもしれません。

それこそがAさんにとっては病や記憶より恐ろしいことだったのではないでしょうか。つまり「人の心こそが最も恐ろしい」ということになりますね。


考えてみれば、どんな人の心の中にある「~扱い」のような差別心から、ゆくゆくは差別~戦争~原爆へとつながります。


Aさんは、その手記を名前の漢字を変えて、原爆追悼記念館に遺しました。しかしながら、この手記は、もし一枚の被爆写真が無かったら、永遠に誰の目に留まることもなく風化していったでしょう。

実際には、2人の子どもさんもその手記の存在を知らないし、私が伝えない限り知ることは無いでしょう。

私は、2人に告げる気はありません。


私にはAさんの気持ちはよくわかります。

しかし、だからこそ「売る為でなく、心の中の遺産として遺す」本をつくってほしいと今でも思います。

Aさんは90歳半ば。残された時間は多くありません。


私は、将来において、誰かが手に取って触れた時に、心の中の財産として受け取ることを、タイミングを見て、再びお話ししてみようと思っているのです。




電子版表紙
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